「神が備えた友、圧倒的なみ霊の力」サムエル記第一 19章18-24節(19:1-24)2024年9月22日
HTML-код
- Опубликовано: 8 фев 2025
- 先週は、サウルのやることは全てうまくいかず、ダビデのやることは全てうまくいったことを見た。神様が共におられる人は守られる。神様の御心、神様のミッションは止めることが出来ない。今日はその話の続き。前回はダビデが自分で戦って勝利した話だが、今週はダビデは何もせず、神様がその主権と聖霊の力によって、また他の人を通して守ってくださった話。
19:1でサウルはダビデを殺すことを正式に決めて、国の方針とした。ヨナタンはダビデを弁護してとりなす。アハブ王権の中枢にオバデヤがいたように、神様は王宮の中にヨナタンを備えてくださった。ヨナタンが賢く話したので、サウルは聞き入れてダビデ殺害の決定を取り消した。
しかし9節、サウルはすでに災いの霊に囚われていたので、決めたとおりにも出来ない。いつものようにダビデが琴を奏でて災いの霊を追い出そうとしていると、サウルは突然槍を手にしてダビデを殺そうとした。神様はこの時もダビデを守り、ダビデは身をかわして逃げた。
11節、サウルの使者がダビデの家まで追いかけてくるが、前回の話で妻となったサウルの娘がダビデを逃す。王の娘が妻だったことで使者たちも丁寧に扱う。全てが繋がっている。ミカルは壁からダビデを吊り下ろして逃し、彫像(テラフィム)をダビデの身代わりにして「あの人は病気です」と言って使者を騙した。ミカルはお父さんのサウルから責められた時も、ダビデに脅迫されて仕方なくそうしたと言い逃れをする。ヨシュアがエリコの街を攻めた時の遊女ラハブを思い出す。神様がラハブを備えられたように、ミカルを備えてくださった。
お父さんのところへ帰っても追いかけてくるだろうし、どうしようかと思ってこの時ダビデが頼ったのはサムエルだった。サムエルはラマのナヨテで預言者の集団と共に暮らしていた。ナヨテは「牧場」とか「住まい」という意味で、預言者の共同体を表す名前だったらしい。そこに行ったのは危険を逃れるためであったが、霊的な養いを受けるためでもあった。王となる原点であったサムエルの下に身を避けるリトリートの時間だった。
そこにもサウルの追っ手がせまる。しかし、その使者に神の霊が臨んで彼らは預言した。滅ぼされずにむしろ神の霊が臨んだのは、彼らが主を信じる人たちだったから。サウルも御心からはずれていたが一応主を信じる人だった。
使者が3回とも神の霊を受けて役に立たなかったので、今度はサウル自身が出てきた。今度はナヨテに着く前にサウルに神の霊が臨んで、彼は預言しながらナヨテまで来た。服を脱いでサムエルの前で預言し一昼夜倒れていた。神の霊によって強制的に王服も脱がされ、神の前、サムエル、そしてダビデの前に倒れることとなった。そしてこの出来事もまた「サウルもまた預言者なのか」という諺の由来となった。サウルは最初、聖霊に満たされて預言した。最初の召命を思い出させる出来事だったがサウルはなおも心を頑なにする。
同じ名前のサウロつまりパウロは神様の御心が分からず良いことだと思って教会を迫害していた。しかしダマスコに迫害に行く途中に主と出会って立ち返り、最大の宣教師になった。圧倒的なキリストの現れの前にサウロは打ち倒された。神様はそのようなことをされる。
パウロは立ち返りサウル王は立ち返らなかったが、大事なのは神の霊の圧倒的な力には逆らうことができないということ。
国の決定として殺されることが決まったダビデだが神様が守られた。それどころか神の力が現れる時となった。
主は、ヨナタンやミカルのような人を備えて助けられた。エリヤにエリシャや7000人の弟子が残されていたように、私たちは一人ではなく同じミッションを行う神の家族と共に歩む。神様が教会を立て、弟子をたて、同労者を立ててくださる。
まとめ
1. まずは主が与えてくださった教会の兄弟姉妹、神の家族を覚えよう。
そして日本の兄弟姉妹を覚えよう。日本を生かす貴重な同労者。
今日は韓国からゲストが来ている。国を超えていつも祈ってくださっている方。時間を超えて空間を超えて共に、ミッションを行う全世界の同労者のことを覚えよう。
2. 神様は圧倒的な霊の力によって介入される。
硬い人、病んでいる人、地域の暗闇の力、キリストを否定する文化、なかなか主を信じない家族や親族、迫害してくる人・・・神様が働かれるなら、彼らも主の前に身を屈めるしかない。
ダビデは、主を信じて困難にも勝利し、主のミッションを成し遂げた。
今週もそれぞれの現場で主の守りと備え、主の力を味わい、神様の働きの中に入っていこう。